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梨農家の吉武喜代子さんを訪ねました。 「ふるさと農園」大分県九重町松木地区(9月2007)



9月9日(2007)の午前中は、大分市内にある美術館を見に行きました。午後からは、途中にある幾つかの「道の駅」を見たり、道路脇にある梨の直売所に寄ったり、温泉に入ったりしながら、今日のお宿がある九重町松木地区にある農家民宿「ふるさと農園」を目指しました。ここの奥さんの吉武喜代子さんのお顔がインターネットのサイトに紹介されていて、初めて見た時からとてもいいお顔だと思ったので、いつか会ってみたいと心に仕舞っていました。そして、飛行機の手配がついた8月下旬に電話で泊まりたいと申し込みました。しかし、9月は正に梨の収穫の最盛期なのでとても忙しくて、初めは無理だと言われました。そこを何とか・・・ともう一度お願いしました。「収穫のお手伝いも二人でしますし、食事も普段どおりで構わないから。」と。するともう一度お父さんに聞いてくれて、夫の孝司さんが「それほど来たいのなら来ていいよ。」とOKを出してくれました。「たいしたお構いは出来ませんよ。」と言いながらついに私達を受けて入れてくれました。(注;ネットの案内にもあるとおり、農繁期には受け入れはしていません。また、通常は修学旅行の生徒を主に受け入れているので、私達のような一般客は受け入れていないとの事でした。)

母屋からつながる作業場。ここで畑から収穫してきた梨を選別して、箱詰めにしています。地方発送も受けてくれます。

松木地区へ続く道は狭くて急だったので、この先に本当に集落があるのだろうかと心配になりました。森を走り続けているとやっと抜けました。その途端、急に開けた台地が現れて、その高台に5軒ほどの家が寄り添うように立ち並んでいました。その一軒に吉武さんのことを聞くと、この家の裏にあるということでした。こうしてやっと辿り着けたのです。軽四輪が一台通れるほどの狭い道をゆっくりと進んで玄関前に着くと、奥さんの喜代子さんが農作業の手を休めて私達を迎えてくれました。

しばらくおしゃべりした後で、夫の孝司さんが収穫に行っている梨畑に皆で行きました。ここでは主に豊水という品種を栽培しているそうで、その他にも20世紀や新高梨などもあります。そして、何と王林や津軽などの品種のりんご、そしてぶどうやブルーベリーなども栽培しているとの事でした。私は梨園に来たのは初めてだったので、あたり一面にずっと見える梨がついているその光景を見ているだけで感激してきました。猪避けにAMラジオを鳴り響かせていたので、初めは私達が来たことが分からなかったのですが、ようやく気が付いた様で、穏やかなお顔をした吉武孝司さんがこちらを向きました。挨拶をするとにっこりと笑ってくれました。この時点でもう此処に来て良かったと感じました。本当にいいご夫婦だと思いました。今までのこの梨園の歴史などのお話を聞いた後、喜代子さんと孝司さんがどれでもいいから梨をもいで食べなさいと勧めてくれました。

有袋の20世紀梨を頬張る美奈子店長。もぎたての梨の味は、格別でした。皮も柔らかくて食べられます。

そして、「夕食の時にでもまた食べなさい。」とぶどうやりんごなども木からもいで、美奈子店長に持たせてくれました。しばらく畑でお話をした後、みんなで家に歩いて帰りました。そして、孝司さんが今から近くにある温泉に行こうと誘ってくれました。それは竜門の滝に近い温泉でした。

収穫したばかりの梨を軽トラックに積み込んで家に帰ります。

温泉は、温泉から帰ると、おいしい夕ご飯が待っていました。喜代子さんは本当にお料理が上手で、下の写真の右にある団子汁や地鶏のぶつ切りを入れた煮込み、栗と小豆のおこわなど、たくさんの種類のごちそうが並びました。「えー、こんなに忙しい時期なので、手間のかかる特別なものは要らなかったです。」と言うと、「どれも田舎料理だから。」と笑っていました。しかし、これだけの食事を用意するとなると、かなりの時間が掛かったことはすぐに分かりました。せっかくの厚いもてなしを受けたので、有り難く全部頂くことにしました。

おいしい湧き水で炊いたご飯には、煮物や汁が良く合います。普段よりもご飯を多く食べました。

こうして宴は、夜の10時頃まで続きました。いろいろな話を聞くことが出来ました。私達もチーズマーケットの話をしました。お二人は60歳になられた位の年齢ですが、とても若々しくてエネルギーに満ち溢れていました。それでも、収穫の時期には人手が全然足りないようです。以前は地域の奥さん達に収穫の時だけ仕事を頼んで何とかやって来られたそうですが、近年は高齢化の波が押し寄せて、働けるお年寄りも少なくなってしまい、全ての梨の収穫をたった二人でやらなくてはならない状況が続いているそうです。
 
しかしそれにしても大分にある田舎はどこも素晴らしいです。松木地区にも大いなる自然が残っていて、朝夕の寒暖の差が大きい気候を生かしておいしい果物が収穫できます。都会から来る中学生は、ここでいろいろな農業体験を通して、作る楽しさや野菜のおいしさを知り、吉武さんご夫婦の温かい心に触れることが出来ます。そうした子供達は、此処に来て本当に良かったと後で手紙をくれたり、中には帰る時になって、帰りたくないと泣き出す子も多いようです。それを聞いてなるほどなぁと思いました。会ってまだ数時間しか経っていませんでしたが、私達も吉武さんにまた会いに来たいと思いました。
 
こうした農家民宿というシステムがあるお陰で、自分よりも年上の人たちがどの様にして生きて来たのかや今どんな暮らしぶりをしているのかなどを知ることが出来ます。それも親戚や会社関係の知人などではなく、全く違う土地で暮らす初対面の人たちの話を聞けるのですから、これほどのチャンスは中々ないと思います。人生の先輩である彼らの話を聞いて、私自身がこの先どのようにして生きていくのかとを考える上でも大いに参考になる出会いでした。お二人に出会う事が出来て本当に良かったです。
 
「日本の田舎もまったくもって素晴らしい!」イタリアやフランスの田舎に住む農家の人たちと同様に自分で作ったおいしい農産物があり、それらを材料にして美味しいお料理を作る時間も持てます。都会の人が知らないだけで、田舎の人たちは実に美味しいものを毎日食べているのです。
 
しかし、田舎に住んで豊かな食生活が出来るように成るには、都会で雇われで働いている人には想像できない位、厳しい仕事を乗り越えなくてはならなかったんだなぁと私は思いました。元々此処には、与えられる仕事(就職先)が余り無かったのですから、食って行ける仕事をまず自分で創めないといけません。その為には周りにある自然を相手にするしかありません。自らが大地に働きかけ、剪定をして、果実に袋をかけ、雑草を刈り取り、病害虫と戦い、猪を追い払い、自然災害を極力避けながら、秋になってやっとの思いで野菜や果物を収穫をします。でも、それがゴールではありません。それを選別して箱に詰めて自分でトラックを運転して市場に出荷したり、或いは道の駅に売りに行ったりして収入を得ているのです。収穫した全ての梨が売れるわけではなくて、規格外にされたり、虫に喰われていたりと思うような収穫量が上がらないのが現実のようです。そうしてやっと田舎でお金を得て自活できるのです。これは並大抵の努力では出来ないと感じました。その証拠に多くの若者は、自分の親達の仕事のきつさに希望が持てないのか、違う仕事を求めて田舎を後に出て行ってしまうことが多いようです。だからこそ残って今もなお田舎で暮らしている人は、ある意味で選ばれた特別な人なんじゃないかと私は感じています。だれもが田舎で暮らして行けるほど、現実は甘くはありません。田舎では、いろいろな意味でそれなりの覚悟が無ければ暮らすことが出来ないのです。吉武さんの様な農家が自活して田舎で暮らして来れたのは、厳しい難関を乗り越えられたからこそだと私は思いました。そしてついに何十年もの間ここで生き抜いてきた彼ら農家の人達の姿を見るだけでも私はここに来る意味があると思います。そんな彼ら農家の人と一日でも一緒に過ごすことは、私達都会に住む者にとって生きて行く上で大きな参考になるではないかと思います。「休日にはもっと田舎へ行こう!」そうすれば、今の生活に役立つ何かが見つかると私は思います。


梨農家の吉武喜代子さんを訪ねました。 「ふるさと農園」大分県九重町松木地区(9月2007)