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高知の郷土料理の皿鉢(さわち)料理は、男女平等社会の印。



5月13日(2007)から二泊した農家民宿はこばさんの最後の夜に高知県の郷土料理である皿鉢(さわち)料理と新鮮な鰹のたたきなどを頂きました。今回はこの皿鉢料理にまつわる話です。
 
 皿鉢料理は、下の写真のように大きな一つの皿にいろいろなお料理が盛り付けされている形態のお料理です。見た目にも豪華で見ているだけで、食べる前からわくわくしてきます。はこばさんでは、連泊した時には、最後の夜にこの皿鉢料理を出してくれるそうです。

これがさわち料理。主食からおかず、そして甘いものまでフルコースで揃っています。

今回は、鯖の姿寿司が中央にどかんと1本あります。それを囲むように2,3種類のお寿司も並んでいます。その他にもいろいろなおかずが盛られています。また、デザートとしてりんごやみかん、もちの様な食感のとうきび、そして桜餅やお団子も見えます。どれから食べようかと楽しみでした。

ところで、この皿鉢料理についてご主人の田辺さんが面白いことを話してくれました。「皿鉢料理は、男女平等社会の象徴のようなものなんです。」と。一瞬何をおっしゃっているのか分かりませんでしたが、続きを聞いて納得しました。つまり、この皿鉢料理が完成するとお料理を作っていた奥さん達もこれ以上台所に立つ必要がないので、みんなが座って最後まで一緒に食べられるという訳なんです。フルコースが全て一皿に用意されているので、この料理を男達だけでなく、女性も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも、皆が揃って一緒にお料理を囲んで食べることができるのです。うーん、これはなかなか素晴らしいアイデアのお料理だと思いました。

獲れたばかりの新鮮な鰹のたたき。スライスしたにんにくで食べたのは初めてでした。うーん、これはおいしいです。冷凍ものしか食べたことが無かったので感動しました。

これを聞いて私は、またハッとしました。私が子供の頃に育った北陸の福井では様子が全く違いました。よく遊びに行ったおじちゃんの家では、おばさんがお料理ばかり作っていて、一向にみんなと一緒にご飯を食べる気配がなかったからです。お客さんをもてなそうとそのお客さんがいる間は、ずっと台所に立っていたのです。そして、食事が終わりかけた頃、「もうそろそろ一緒に食べようよ。」と台所におばちゃんを呼びに行くと、おばちゃんはいませんでした。どうしたのかなぁ?と辺りを探すと、隣の部屋でお手伝いに来てくれていた近所の奥さん達と一緒にご飯を食べていたのでした。
つまり、この家では「お料理をするのは、女の仕事。」、「宴席は男だけ。」???というようなしきたりというか考えなのか、お客さんが来ている時の食事は、奥さんが同席することは無かったのでした。女性は、食事の用意からお酒の用意、酒がなくなるとその準備などとずっと台所で忙しく働いていたのでした。

一方、私は、チーズマーケットの仕事をすることになって、フランスやイタリアの一般家庭で食事を頂くことが何度もありました。これまでいろいろな家庭の食事の様子を見てきましたが、先ほどの様に奥さんだけがテーブルに着かずに、ひたすら台所でお料理をし続けるなんて家は見たことがありませんでした。食事の最初から最後まで家族全員が私達と一緒に食事をしました。それがもてなすという事なんだと思います。みんなが席に着くと最初に前菜を食べます。そしてそれを食べた後には、お皿をみんなで片付けて、次のお料理の為に新しい皿やフォークに交換します。もちろん、男であるお父さんも子供達も手伝います。そして、次の料理をお皿に取り分けて、また一斉に食べ始めるのです。もしも一人だけそのお料理を先に食べ終えてたとしても、次のお料理は、全員が食べ終わるまで出ません。皆が食べ終わるまでおしゃべりをしながらずっと待っているのです。このようにして、いろいろなお料理を順番に皆が揃って食べていくのです。こうして、最後に出るフルーツやデザートまで、奥さんは一緒に食べたり、台所に戻っては別のお料理の加減を見ながら、お客さんと一緒に食べて話をして楽しむのです。

高知県で生まれ育った皿鉢料理。これは、いまだに男社会の日本に於いて、画期的なお料理だと私は思います。その家に居る者みんなが揃っておいしい食事を一緒に楽しむことが出来るからです。皿鉢料理は、フランスやイタリア料理よりも素晴らしいかも知れません。それは、一度皿鉢料理が完成すれば、奥さんは台所へ行ったり来たりすることすら無いからです。今回の旅で皿鉢料理に出会って、そして田辺さんのお話を聞くことが出来て、日本の男女不平等社会の現状に目が向きました。近代日本の歴史の中で大きな転換点となった自由民権運動は、土佐の人々から生まれ日本各地に広がった思想でした。しかし、明治維新から既に120年以上経った現代においても、先の福井の家の様に、実際にはいろいろな面で男と女の扱いが違うことも数多く残っています。

日本において男も女も自由で平等である社会が実現するのは、一体いつのことなのか? しかし、それを他人任せにしたり、他人事と思うのではなくて、自分の実生活の中で無意識に行われている性差別に目を向けて、一人ひとりがそれを一個ずつ消して行かないと、前には進まない気がします。いろいろなことを考えさせられた皿鉢料理となりました。


高知の郷土料理の皿鉢(さわち)料理は、男女平等社会の印。