自営業の私は、天然物。生簀じゃなく大海原を泳ぐ天然魚なの。(仲江 治代) |
「自営業の私は、天然物。生簀じゃなく大海原を自由に泳ぐ天然魚なの。」 |
7月(2010)の中旬、奄美大島に初めて行きました。マンゴーやパッションフルーツ、そしてバナナを作る農家の人と出会うのが目的でした。旅の中で2泊した宇検村「たつみ荘」の女将、仲江治代さんとのお話の中で出てきた今回の言葉がとても素晴らしかったのでご紹介します。 |
波が穏やかな内海に面した旅館たつみ荘には、とても楽しい・陽気な治代さんがいらっしゃいます。夕食を食べながら、窓から見える下のような景色を見て、治代さんはこうおっしゃいました。あれは田崎真珠などが所有している真珠の養殖をしている生簀なのよ。」と。私と美奈子店長と一緒に食べながら、お茶を飲みながら、お互いのこれまでの人生の話をしていたら、治代さんはふと「私は魚で言えば天然物よ。」とニコニコしながら話してくれました。 |
治代さんは、「生簀に例えて言うと、雇われのサラリーマンなら、生簀の中で決まった時間に餌(給与)がもらえるけれど、私ら自営業者は餌を貰えない。でも、私はずっと大海原を自由に泳げるし、自分で餌を探せばいい。逆に餌を自分で探して生きて行かなきゃならないし、自分よりも大きな魚に食べられない様に注意して生きていかなくちゃならないわ。」と。自営業者とサラリーマンという二つの立場には、もちろん長所と短所がそれぞれにありますが、治代さんの話を聞いて、私は、一瞬治代さんが天然物の美味しそうな真鯛に見えました。天然物!何という素晴らしい言葉なのでしょうか。 |
そして、この言葉こそ自営業者の特徴を端的に言い当てていると感動しました。そうか、自営業者って天然物の魚なんや!と。そして、この言葉を聴いて自営業者であることに今まで以上に自信と誇りを持てた様に感じました。私は自営業をやって今年でやっと12年が経ちました。でも、その前は公立学校の教員を10年ほどやっていたので、まだまだ治代さんのように天然魚一筋ではありません。でも治代さんは長年、天然魚をやっていらっしゃいました。こうした長い自営業の経験から自信が生まれ、この言葉が生まれたんだと私は思いました。 |
確かにだれでも大海原を思いっきり泳ぐような生き方をしたいと思います。でも、いろいろな事情で、自営業をやれる人は日本では本当に少ないと私は思っています。後で書きますが、若者が自分の進路を決める時に、自営業という選択肢がある人がそもそも少ないのです。そんな中で幸運にも治代さんや私の様に自営業をして、さらにそれがうまく続いている人は、それだけでも幸せなことだと思います。と同時に自営業を長く続ける事はとても大変だけど、もしもそれが出来たらきっと自信も付くし、後から良い人生だったと振り返えられる充実したものになっていると想像しました。この先もしもチャンスがあれば、ぜひ天然物になられる道を選ばれることを願っています。 |
治代さんの話を聞いて、私は自分のこれまでの事を振り返りました。そういえば、自分が高校生の時、進路を考えたら自営業になるという選択枝は最初から全くありませんでした。でも、それは高校の進路指導の先生も自分の家族にも友達の親にも治代さんの様な天然魚の人物が居なかったか少なかったので、自営業の長所を知るチャンスが無いままに進路を決めてしまったのです。もちろんあの頃はインターネットも無かったので、こうして会った事もない人の考えを知る方法もなかったのでした。 |
また、私が大学を卒業して教員採用試験を受けて、東京都江戸川区立の中学校で3年生の担任をした27歳の時も、生徒に自営業を勧める様な進路指導は一切出来ませんでした。とりあえず的な指導に終始していたと思います。例えば、職業科や高専ではなくて、とりあえず普通科高校に行くことを勧めていました。そして、偏差値を見ながら、受かる可能性のある高校名をあげたぐらいだったなぁと反省しています。それは、正にその時の自分では、自営業者の長所を知らなかったからだと思います。今、もしも私が先生に戻ったら、生徒から歌手に成りたいとか、声優に成りたいと言われたら、よしよし頑張って実現しなさい。きっと楽しい人生になるからね。とそうした自営業者への道を強く勧めると思います。 |
もしも、今働いている職場というか生簀が小さかったり、息苦しかったら、無理をしてそこにずっと留まろうとは考えず、自営業者という大海原につながる道を探すのも、一つの選択肢だと今の私なら自信を持って言えます。人生は一度きり。天然魚になって12年目の山本知史は本当に幸せです。^^)治代さん、いい言葉をありがとうございます。(おわり) |
自営業の私は、天然物。生簀じゃなく大海原を自由に泳ぐ天然魚なの。(仲江 治代) |