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就職だけが人生じゃない。起業すれば別世界でマイペースに暮らせます。



起業をして自分のやりたい仕事が出来るのは、もうそれだけで幸せなことです。(売り上げが多いとか少ないとかに関わらず。)起業すれば、「今までは自分以外の力(勤め先の上司や社長、公務員なら国家や県市町村の首長)に握られた自分の時間とお金。その主権を取り戻せる。」からです。これを聞いて、ああー何と起業って素晴らしんだ!と思いませんか? つまり、自分の人生を能動的に捉えられるのが、起業する最大の目的というか長所なのです。自分の働いた内容を自分の仕事の結果で判断できるのです。一所懸命に働けば、それに比例してお金も手に入れられるのです。
 
しかし、どういう訳か日本での起業率はとても低いです。日本人100人で起業するのは、たった2人かそれ以下です。98%以上の日本人は、民間企業や公務員などの既存組織の中で働くことを希望するようです。周りに起業する人やした人が少なくて、その素晴らしさを耳にする機会がほとんどなかったり、起業する素晴らしさよりも、大変さや不安定さに目が行くのが理由かも知れません。しかし、ずっと労働者のままで働いていて、それほど日本は労働者天国の国だと言えるのでしょうか? 「いいえ、それは違います!」と私ははっきりと言えます。これまでに何度もフランスを訪れて彼らの生き方や暮らし方、労働条件を知ってしまった私にはそうは到底思えません。日本の労働条件ではお話にならないほど、フランスは正に労働者天国であり、彼らには手厚い労働法規が整備されていて、職種に関わらず多くの労働上の権利が保障されています。(こうした権利を労働者や市民が簡単に手に入れたわけではなく、フランス革命からのフランス市民による今も続いている権利闘争という行動力の賜物だと思います。)こういう国ならば、危険を冒して起業などをせずに労働者として、長期・短期の有給休暇(ヴァカンス)を大いに活用しながら定年まで待たなくても、毎年人生をいろいろと楽しむ事が可能です。確かに日本でも一昔前なら終身雇用制度があったり、会社は家族のような暖かい存在でした。しかし、年々労働条件は民間も公務員も厳しくなる一方です。労働者(公立学校教員)と起業(自営業)の2つを経験した私にとって、日本で豊かに暮らす為には起業した方がずっといい。と思います。それはフランスと比べても比べなくても、日本の会社や公務員組織での労働条件が、余りにもひどいと思うからです。受験勉強などで小さい時から苦労をしてきたにも拘らず、その対価として得られる時間やお金や待遇が余りにも貧弱な気がしてなりません。
 
でも、日本人の98%以上は、こんなことを言ってもきちんと理解してはくれないと思います。なのにここで書いていますが・・・。^^)   教員だった昔の私も、同じく理解できなかったです。それは私に起業した経験が無く、またフランスなどの先進国の実情も知らなかったからです。それは今の多くの日本人にも言えることだと思います。そして、多くの日本人が今回の話を理解できない最大の理由は、これまで受けてきた日本の教育に原因があると思います。日本人なら誰もが義務教育という名の日本式学校教育を9年間も受けなければなりません。これほどまでも日本人の多くが起業を敬遠して就職したがる最大の原因は、この学校教育の中身にあると私は気が付きました。
 
私は東京都と北海道の公立中学校で主に理科の教員として約10年ほど働いていました。その時には今回書く問題点は全く気が付いておらず、ひたすら毎日の授業・実験に力を入れて頑張っていました。自分が自営業という仕事を創めて、一般的な就職者とは違う世界で生きる事になって、それがはっきりと見えて来ました。同じ現象や事実でも、どの世界からそれを見つめるかで、その見え方は大きく異なる事を知りました。もしも、今回お話することを私自身が中学生の頃に知っていれば、もっといろいろな可能性があったと思いますし、五教科の成績や進学の事に気を取られず、もっと好きなことを熱心にやっていたと思います。それがとても悔しいです。少なくとも私の中学生の頃には、私の周りの大人で起業を勧めてくれる人は一人もいませんでした。では、日本の学校教育の何がそうさせているのでしょうか? それは、「日本の学校教育は、独立心を育てたり新しく事業や会社を興す独創性やエネルギーを持つような個性を尊重することは頭に無い、そして出来ない場。」なのです。長年決まったある目的にしか向かっていないのです。

南フランスで30頭のやぎを飼うところから事業を始めたブーゴーさん。今では従業員も雇えるほどになりました。2007年にはまた訪問したいです。

では、そのある目的とは何でしょうか? それは、「全ての人にその能力に応じて就職が出来るように ”選別”すること。」とでも申しますか、「日本の中学校や高等学校は、既存の民間会社や役所・官公庁に就職する為の振り分け選別をするための場所」に見えるのです。(決して先生達を初めとする教育関係者を悪いと言っているのではありません。)もちろん、私が教員だった頃にこんな事を言われたら、「そんな事は無い。」と反論したと思いますが、今の日本の社会体制や風潮の影響で、日本の学校がこう位置づけされていると思わざるを得ないのです。そしてもっと厳しい言い方をすれば、「学校は、生徒が就職する時に提出する資料の一つである学業成績証明書を発行する機関。」になっているのです。何度も言いますが、学校だけが悪いと言っているのではありません。むしろ、問題なのは、98%の生徒や親が就職を希望する様な「仕事に対する価値観に多様性がない。」のが変だと申し上げているのです。生徒の進路について、起業することを選択肢には入れず、「とにかくどこかの会社や官庁に就職することが最終目的。」とするような教育体制が長年続いてきたことが変だと感じました。そうした教育を受けた親は自分の子供にもその価値観を教え、そしてその子供も大人になると、同じように自分の子供に教え・・・と戦後から繰り返されてきた歴史が原因なのだと思います。つまり、これから大人になる多くの子供達も既に画一化された価値観(起業ではなくて就職を希望する)に固まっていることが変なのです。「芸人に成りたい!」「開業医に成りたい!」「実業家になりたい!」「政治家になりたい!」「ずっと旅をしながら旅行作家で食っていきたい!」といった様な一般的な就職とは一味違う進路を見つめる子供やそれを認めようとする大人の絶対的人数がとても少ないのが変だと言っているのです。そうした2%以下の子供にまで手を差し伸ばせる時間的余裕が、今の学校には無いのだと思います。今の学校の空気は、「出来るだけ待遇の良い民間会社や官公庁の仕事に就かせたい親と就きたいと思う子供」一色に染まっています。自分とは違う先の例の様な進路に対する価値観を認めようとしない、あるいは最初から出来ないと決め付けたり、諦めたり、そうした進路を異物のように感じて排除したり、攻撃したりする空気が問題なのだと思います。一方で実社会の空気はどうかと申しますと、独創的な発想やヴァイタリティーに溢れ、現社長の椅子を脅かすほどの才能を持った若者や一芸に秀でる人間の価値を認めない、必要としない空気が漂う会社や組織の社会なのだと思います。目立つ服装や行動を避け、協調することを最優先する横並びの社会なんだと思います。そうした実社会のニーズに合わせるかのように学校現場では、会社や上司の言ったことを素直にやってくれるような生徒を育てているのかも知れません。それはまるで、「曲がっていない真っ直ぐなキュウリの量産」に似ています。全国各地のスーパーでトレーに並べて売りやすいように、まっすぐなキュウリを求める小売業者の声に応えて、農家や学校ではまっすぐなキュウリを作ったり、何の疑問も感じないで隊列を作って歩くような生徒を世に送り出しているのかも知れません。
 
大勢を占めるそうしたイイ会社に就職したい親や子供のニーズに応える為にも、高等学校では就職に有利な大学への合格率UPを一番に競っています。こうした多くの人が進む世界に居れば、中学・高等学校の五教科の成績を上げる方法以外に自分の望みを叶える手段はほとんどありません。つまり、価値観が同じ人が多い世界に住んでいてはその競争も激しくなり、受験勉強が過熱するのも当然の結果だと思います。
 
でも、もしそうした世界が嫌だと思っていたら、その世界から離れるいい方法があるのです。それは・・・・・・・・そうです!「起業すること。」だと私は思います。もしもここで初めっから、「就職なんてしない! 僕は自分で起業して自分で仕事を作る!」と決めれば、ほとんど全員(98%)の生徒が居る世界、「起業せずに就職する。」という価値観の世界から、全く別世界に抜け出すことが出来るのです。それは五教科の成績を全く気にする必要がない世界です。(起業に学歴や高成績は不要ですから。でも、必要な事はもっともっと別な場面であります。)そして、自分の好きな教科だけをやることも可能なのです。つまり、学校の成績を上げる為に勉強しなくてもいいのです。知りたいから本を読む、イタリア人と話したいからイタリア会話を学ぶ。面白いから熱が入るという本来の曇りのない姿勢で学ぶ事ができるようになるのです。今、社会を騒がせている高等学校での必修科目の不履修問題。私も世界史にてこずりました。テストで高成績をあげる為には、膨大な知識を短期間に暗記しなければならなかったからです。そんな付け焼刃的勉強では、試験が終わればすぐに忘れるほど全く身につきませんでした。そして何よりも勉強をしていて楽しく無かったです。しかし、今こうして年に4、5回ほどヨーロッパ各地に行くようになると、当然ヨーロッパ各地の地理や歴史に対して興味が自然と沸いて来ます。どういう時代背景の時にこのチーズが誕生したのだろうかと気になるからです。そして、その時によく思います。世界史をもっと別のやり方で勉強しておけば、出かける度にもっといろいろな事が見えて来たかもと。勉強することは、本来は楽しいのです。世界史は受験で大変だからやらないとか、勉強はお金にならないからやらないとか思うようなら、それはとても悲しい人だと思います。(私が高校生の時もそう思っていましたが。)今私はよく分かりました。「勉強はそもそも人生を豊かにする為にあるのだ。」ということを。「成績UPの為にやるのは勉強ではない!」 知的好奇心に満ち溢れた人は、生涯でいろいろな事を勉強して長く人生を楽しんで行けるのだと思います。しかし、日本の学校ではこの肝心な「知的好奇心を子供に植えつける楽しい授業」が不足しているのです。目先の受験を意識した授業に終始しているので、つまらない授業になっているのです。もっと知りたいという好奇心が消えてしまう内容が多いのです。多くの先生達も気が付いているのですが、それが出来ないのは受験の為に教えなければならない事がたくさんあるからですし、成績を付けなければならないからです。つまり、いろいろな生徒の中からこの子は出来るとか、この子は出来ないという差をテストで見極めて、進学時や就職時の資料を作る仕事が待っているからです。何度も言いますが、学校では生徒に多量の知識を与えるのではなくて、考える事が好きになるためのいろいろなしかけや働きかけをしていくようになればいいのになぁと思います。つまり、学ぶ事の楽しさや物事に好奇心もてるような授業です。子供の心に好奇心が湧けば、それぞれの子供が自然に自分から勉強するようになるのですから。
 
随分と話が外れましたが、そろそろ日本でも、「就職するばかりが進路じゃない、人生じゃない!」と国民の2%以下の別世界に居る自営業者や会社の創業者が声を大にして言わなければならない時だと感じています。98%の人が暮らす世界から、もっと楽で時間的余裕のあるこっちの世界においでよ!と呼ぶようにしなければならないと感じています。その為には、起業をした私達の生活にはこんな素晴らしいことが多いと、もっともっと多くの人が紹介をして、それに興味を持った人たちの中から既成のレールとは違う道を歩む人が増えればいいと思います。その為にも自営業者は、もっともっといい暮らしをしていかなくてはならないと思います。そうして、仕事や労働に対する日本人の価値観が多様化して、受験勉強という勉強とも呼べない意味の無い事から若者を解放してあげたいと思います。そして、真に学ぶ事の楽しさを知って欲しいと思います。起業をすれば、時間が自由に使えます。月曜日の朝だってちっとも憂鬱になりません。特に私のような自営業なら通勤する必要もないのですから・・・。^^)これからも、一般の人が出かけられないような時期にヨーロッパに数多く出かけて、多くの人にうらやましがってもらい、起業する人を増やして、日本も他国に負けない多様化した価値観が同時に存在する成熟した社会になればいいなぁと思います。


就職だけが人生じゃない。起業すれば別世界でマイペースに暮らせます。